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なぜ原爆投下による民間人大虐殺は罪に問われないのか?〜日本人に埋め込まれた「2つの思考停止」(赤坂 真理)
真珠湾攻撃をやったから、原爆を落とされても文句は言えない? なぜ天皇は戦争責任を問われずにすんだの... 真珠湾攻撃をやったから、原爆を落とされても文句は言えない? なぜ天皇は戦争責任を問われずにすんだの? 作家・赤坂真理さんが、東京裁判に関わった母親との会話から、日本人に埋め込まれた「2つの思考停止」を明かします。 *戦後論の新たな地平を切り拓いた赤坂真理さんの『愛と暴力の戦後とその後』より、第1章「母と沈黙と私」を特別公開!(第2回) →第1回はこちら 謎解きの糸口 「ママはね、東京裁判の通訳をしたことがあるの」 2002年に99歳で死んだ祖母が、私の母親についてこんなことを言ったのは、たしか1997年だった。11月くらいの小春日和だったか、それとも本当に春の風の凪いだ日だったか。とにかく明るくて穏やかな日だった。 祖母にとって私の母とは、もちろん、娘だ。が、日本の家庭によくある、家族のいちばん小さき者の目線から見た呼称を、祖母もまた使った。人は老いると弱く小さくなる。だから娘をママと呼ぶ
2015/08/14 リンク