エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント6件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
神戸・連続児童殺傷事件「報道再検証」~「心の闇」から抜け出すことはできるのか?(牧野 智和) @gendai_biz
文/牧野智和(大妻女子大学専任講師) 「心の闇」から抜け出すために 前回の記事では、近年の少年非行... 文/牧野智和(大妻女子大学専任講師) 「心の闇」から抜け出すために 前回の記事では、近年の少年非行への不安の高まりは、微に入り細にわたって、常人には理解できない「心の闇」を語り続けた報道に一因があるのではないかと指摘しました。 この「心の闇」という言葉は、かつてほどではありませんが、いまだに使われ続けています。残虐な事件や突然発生したようにみえる事件が起きると、「心の闇」はみえない、晴れない、それを解き明かさねばならない、と語られるのです。 しかし、この闇が明らかにされたという記事は、管見の限りではみたことがありません。闇のなか、不可解さのなかに報道は留まり続けてしまうのです。 このような出口のない考え方に私たちの社会は留まるべきでしょうか。もっと異なる考え方がありえないものでしょうか。 そこで今回は、そもそも「心の闇」という言葉が社会に広まるきっかけとなった、1997年の神戸・連続児童殺
2016/02/25 リンク