エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
SMAP解散で岐路に立つジャニーズ、その姿は戦後日本そのものだ!(矢野 利裕)
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
SMAP解散で岐路に立つジャニーズ、その姿は戦後日本そのものだ!(矢野 利裕)
「なんとなく」の存在感 ジャニーズという存在を意識したのはいつだったか。 1983年生まれの僕が通った... 「なんとなく」の存在感 ジャニーズという存在を意識したのはいつだったか。 1983年生まれの僕が通った小学校のクラスでは、まだCDデビューまえのKinKi Kidsが、女子たちにたいそう人気だった記憶がなんとなくある。そのころにはすでに、テレビから流れるSMAPの音楽になんとなく触れていた。もっとも、ジャニーズという意識はなかったが。 音楽ファンを自覚するようになって、古今東西の音楽を積極的に聴くようになって、物心つくまえの日本の歌謡曲にも触れるようになった。筒美京平が好きだったので、筒美が作曲をした田原俊彦や郷ひろみ、近藤真彦の曲などを中古盤で安く見つけては、なんとなく買うことがあった。 1960年代前半のカヴァーポップスに熱中したとき、同時代の音楽として、なんとなく初代ジャニーズの音楽も聴いてみた。古今東西の音楽に目を向けるようになったのち、何気なく耳にしていたSMAPの音楽の質の高さ