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生存者が語る…日本軍捕虜1100人「決死の蜂起」その壮絶な記憶(神立 尚紀) @gendai_biz
「生きて虜囚の辱めを受けず」——。 1944年8月5日、オーストラリア・カウラ捕虜収容所において、約1100人... 「生きて虜囚の辱めを受けず」——。 1944年8月5日、オーストラリア・カウラ捕虜収容所において、約1100人の日本人捕虜たちが、鉄条網の外へ向かって一斉に蜂起。231人が命を落とした。 収容所には、あり余る食料、水洗トイレにお湯が出るシャワーがあり、労働には報酬まで与えられながら、彼らはなぜ命を賭して蜂起したのか。 そこにあったのは、第二次大戦中、他国には一切なく、日本人だけが支配されていた、捕虜となることは屈辱だとする道徳律だった。 バットや食事用のナイフを手に蜂起 冴え冴えと晴れた満月の夜空に、ときならぬ突撃ラッパが鳴り響いた。オーストラリア東南部のニュー・サウス・ウェールズ州、シドニーの西方約300キロに位置するカウラ・第12捕虜収容所Bキャンプ。いまからちょうど75年前、南半球では真冬の、昭和19(1944)年8月5日未明のことである。 赤い囚人服を着た約1100名の日本人捕虜た
2019/08/04 リンク