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「浮島丸爆沈事件」から77年…なぜ北朝鮮はいまだに日本政府を非難し続けるのか(伊藤 孝司) @gendai_biz
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「浮島丸爆沈事件」から77年…なぜ北朝鮮はいまだに日本政府を非難し続けるのか(伊藤 孝司) @gendai_biz
過酷な労働に怒りが爆発 アジア太平洋戦争による労働力不足を補うため、たくさんの朝鮮人が日本へ来た。... 過酷な労働に怒りが爆発 アジア太平洋戦争による労働力不足を補うため、たくさんの朝鮮人が日本へ来た。中には本人の意思に反した連行もあったし、また、植民地支配によって朝鮮では生活できなくて仕事を求めて渡って来た人もいる。 私は韓国各地で、浮島丸の乗客だった生存者たちから1997年に話を聞いている。消息が判明していた70人の中から、なるべく異なる体験をしている人に会いに行った。 全羅北道鎮安郡(チョンラプクドチナングン)の孫東培(ソン・ドンぺ)さん(1916年生まれ)の家は、朝鮮の伝統的様式の農家だった。 「徴用されたのは1944年5月15日でした。夜中の2時に面(日本の村にあたる最下級の地方行政団体)の書記と区長ら4人がやって来ました。寝ているところを叩き起こされて、そのまま連行されたんですよ。私には3人の子どもがいて、両親の面倒も私がみていました」 鄭基永(チョン・ギヨン)さん(1927年生