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ロヒンギャの友と私の15年 ミャンマーの故郷を訪ねる夢は遠く:朝日新聞GLOBE+
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ロヒンギャの友と私の15年 ミャンマーの故郷を訪ねる夢は遠く:朝日新聞GLOBE+
生まれ育ったミャンマーの村に帰ることはできない。写真もない。「絵を描いたことがない」というヤシン... 生まれ育ったミャンマーの村に帰ることはできない。写真もない。「絵を描いたことがない」というヤシンさんに記憶の中の村を描いてもらった。 村の真ん中の巨大な木の根っこは村人のベンチ。木陰で話し合ったり、昼寝したり、たばこを吸ったり。「50人くらい座ってました」。小鳥は巣を作り、子どもは枝から垂れた気根をブランコにして遊んだ。 ■出会いは夜の空港 ヤシンさんと出会ったのは、2004年1月の日曜、夜の関西空港の国際線出発フロアだった。冬休みで、学生時代にホームステイしたパキスタンの家族の兄妹を神戸の自宅に招いていた私は、帰国する2人を見送りに来ていた。 出国ゲート前で別れを惜しんでいると、褐色の肌の男性が兄妹に話しかけた。「里帰り出産をする妻が同じ便に乗るので、面倒をみてもらえませんか」。その隣で、おなかの大きな女性が小さな男の子の手をひいていた。もちろん。私は、あいさつ代わりに尋ねた。どこの方で