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岩倉具視、ヤモリの異名を持つ男の知られざる[生涯]
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岩倉具視、ヤモリの異名を持つ男の知られざる[生涯]
公卿の家系に生まれた名門岩倉具視 岩倉具視は1825年、公卿、堀河康親(ほりかわやすちか)の次男として京... 公卿の家系に生まれた名門岩倉具視 岩倉具視は1825年、公卿、堀河康親(ほりかわやすちか)の次男として京都に生まれます。堀河家は上から四番目の羽林家で武家なら大名クラスの家格で名門です。幼名は周丸(かねまる)ですが、子供の頃から公家らしくない言動と行動で知られ、同年代の公家からは岩吉(いわきち)や山賊の親分とあだ名されていました。 婉曲表現が当たり前の公家社会で周丸だけは、直接的にモノを言い頭脳明晰で口喧嘩も得意でした。周丸は学問を修める為に、儒学者の伏原宣明(ふしはらせんめい)に入門しますが、この時に伏原は周丸の非凡な才能を見抜き、子供のいない岩倉家への養子縁組を積極的に勧めました。 その甲斐あって、周丸は1838年、羽林家、岩倉具慶(いわくらともよし)の養子に入り伏原により具視(ともみ)の名を与えられました。岩倉家は武家で言えば大名格でしたが、江戸中期に村上源氏久我家から分家した新家で