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壱岐島、月讀神社、國片主神社 - hantubojinusi’s diary
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壱岐島、月讀神社、國片主神社 - hantubojinusi’s diary
壱岐島、月讀神社 昨夏の対馬に続き、今夏は8月上旬に壱岐の島を巡った。魏志倭人伝に「一支國」と記さ... 壱岐島、月讀神社 昨夏の対馬に続き、今夏は8月上旬に壱岐の島を巡った。魏志倭人伝に「一支國」と記された壱岐には、弥生時代の遺跡や古墳、神社など、歴史的な史跡が多い。博多からフェリーで着いた東の芦辺港で車を借り、一周約40kmの壱岐の島を西へ向かうと、すぐに月読神社に着く。神社の由緒では、祭神は月夜見尊、月読尊、月弓尊の三柱を祀るがいずれも同神である。延宝4年(1676)に橘三喜が当社を式内名神大社の「月読神社」に比定し、式内社とされたが、現在では疑問視されている。延宝以前の由緒来歴は不明。古くは「山の神」と称し、社もなかったという。 月讀神社拝殿 現在、月読神社に比定されているのは、箱崎八幡神社であり、元は月読神社として創建された男岳神社から遷座され、その後、海裏神社、八幡大神海宮、箱崎八幡神社と改称されたという。詳しいことは、箱崎八幡神社も男岳神社も後日訪れるのでそこでまた述べる。「日本