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和奏はいかにして母の曲を完成しえたか、あるいは「主体」――アニメ「TARI TARI」における"過去の克服"について - 過ぎ去ろうとしない過去
少し前に「けいおん!内面論争」というものがあった。契機になったのは「けいおん!」には内面がないの... 少し前に「けいおん!内面論争」というものがあった。契機になったのは「けいおん!」には内面がないのではないか、という主張があるブログにてなされたことである。「けいおん!」には「死にゆく私」や「成熟という困難」という、近代的な主体を形成するためには不可欠な要素がない。かのじょたちは死や不安に襲われることもなく、全員いっしょの大学に進学するので「日常の終わり」もない。それはある種の「ユートピア」にすぎず、そこに住む登場人物に内面を認めることはできない。 アニメ「TARI TARI」のヒロイン、和奏は、上の議論に従えば、まさに「死」というものに強く刻印づけられていたヒロインだったといえるだろう。彼女は、ある後悔を伴うかたちで母、まひるを亡くす。彼女にとって、母の記憶は重荷でしかなかった。であるがゆえに、和奏は母の幻影から逃げようと試みる。母を想起させうる音楽をやめ、遺品もなるべく遠ざけようとするの
2012/09/25 リンク