エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
『歴史を変えた外交交渉』と『戦争学原論』 争わないための知恵 - HONZ
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
『歴史を変えた外交交渉』と『戦争学原論』 争わないための知恵 - HONZ
1904年2月8日、旅順港外での日本海軍によるロシア艦隊への奇襲攻撃によって、日露戦争が開戦した。多く... 1904年2月8日、旅順港外での日本海軍によるロシア艦隊への奇襲攻撃によって、日露戦争が開戦した。多くの犠牲者を出しながらも終わる気配を見せない戦闘は、次第に激しさを増していく。ロシア相手に勝利を続ける日本であったが、大国相手に長期戦を戦い抜くほどの力は備わっていなかった。また、国力で優りながらも連敗を続けるロシアも、戦闘が長引けば、既に失ってしまった面目以上のものを失うことは明らかだった。 開戦から1年と少々が経過し、これ以上戦争を続けるメリットを見出すことは両国ともに難しい状況となり、双方とも終戦への道を模索していた。それでも、一度動き出した戦争を終わらせることは、それを始めるよりもはるかに複雑なプロセスを要する。この戦争がどんな結末をもたらすか、もはや誰にも予想ができなくなっていた。 そこへ、日露戦争がヨーロッパを巻き込んだ世界大戦に発展することを危惧したローズヴェルト米大統領が、講