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咸宜園 - Wikipedia
秋風庵の居間と縁 咸宜園(かんぎえん)は、江戸時代の先哲・広瀬淡窓により、幕府領であった豊後国日田... 秋風庵の居間と縁 咸宜園(かんぎえん)は、江戸時代の先哲・広瀬淡窓により、幕府領であった豊後国日田郡堀田村(現大分県日田市)に文化2年(1805年)に創立された全寮制の私塾である。「咸宜」とは『詩経』から取られた言葉で、「ことごとくよろし」の意味。塾生の意志や個性を尊重する理念が込められている[1]。 遠思楼2階の丸窓 咸宜園では、入学金を納入して名簿に必要事項を記入すれば、身分を問わず男子はいつでも入塾できた。また、「三奪の法」により、身分・出身・年齢などのバックグラウンドにとらわれず、すべての塾生が平等に学ぶことができるようにされた[1]。 淡窓は、儒学者・漢詩人であったが、咸宜園では四書五経のほかにも、数学や天文学・医学のような様々な学問分野にわたる講義が行われた。毎月試験があり、月旦評(げったんひょう)という成績評価の発表があり、それで入学時には無級だったものが、一級から九級まで成