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城井鎮房 - Wikipedia
城井 鎮房(きい しげふさ、別名:宇都宮鎮房)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。豊前国の... 城井 鎮房(きい しげふさ、別名:宇都宮鎮房)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。豊前国の戦国大名。城井氏16代当主。城井谷城主。怪力無双の人物で強弓の使い手であったとも伝わる。 生涯[編集] 天文5年(1536年)、城井長房の子として誕生。はじめ、貞房を名乗った。 城井氏は、豊前宇都宮氏とも言う。父・城井長房が本家筋の下野宇都宮氏の内紛への介入に熱心であったため、領国の管理を早くから任されていたという。最初は大内義隆に属していたが、義隆が陶隆房の謀反で殺されると、豊前国に支配権を確立した大友義鎮(後の宗麟)に服属。正室に義鎮の妹を娶り、義鎮から一字拝領し、鎮房と名を改めた。しかし、大友氏の勢力が天正6年(1578年)の耳川の戦い以降衰退すると(耳川の戦いには城井勢も参戦していた)、今度は薩摩国の島津義久に属するという巧みな処世術を見せている。 天正14年(1586年)より始まる豊
2014/05/27 リンク