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富井政章 - Wikipedia
富井 政章(とみい まさあきら、1858年10月16日〈安政5年9月10日〉- 1935年9月14日)は、日本の法学者・... 富井 政章(とみい まさあきら、1858年10月16日〈安政5年9月10日〉- 1935年9月14日)は、日本の法学者・教育者。学位は法学博士。帝国大学法科大学(現東京大学法学部)教授、帝国大学法科大学長、貴族院勅選議員、枢密顧問官等を歴任。法典調査会民法起草委員。和仏法律学校(現法政大学)校長。京都法政学校(現立命館大学)初代校長、立命館大学初代学長。男爵。 政章はまさあきではなく「Masaakira[1]」(まさあきら)。 聖護院の宮侍だった富井政恒の長男として現在の京都府京都市に生まれた。 民法典論争では、フランス法を参考にしたボアソナードらの起草にかかる旧民法は、ドイツ法の研究が不十分であるとして穂積陳重らと共に延期派にくみし、断行派の梅謙次郎と対立したが、富井の貴族院での演説が大きく寄与したこともあって旧民法の施行は延期されるに至り[2]、梅、穂積と共に民法起草委員の3人のうちの
2014/06/01 リンク