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小場江頭首工 - Wikipedia
小場江頭首工(おばえとうしゅこう)は、茨城県常陸大宮市(旧那珂郡大宮町)三美地先、那珂川本川に建... 小場江頭首工(おばえとうしゅこう)は、茨城県常陸大宮市(旧那珂郡大宮町)三美地先、那珂川本川に建設された堰である。小場江用水路の水源であり、那珂川本川に建設された河川施設としては茨城県内唯一の施設である。 徳川家康は1602年(慶長7年)、5男で甲斐武田氏の名跡を継いだ武田信吉に水戸15万石を与えた。伊達政宗を仮想敵とし、仙道筋における江戸防衛拠点として水戸を重視した家康はこの地を徳川家一門で押さえる事とした。信吉死後は徳川頼宣、そして徳川頼房が水戸藩主となり水戸城に本拠を置いた。水戸藩は那珂郡・久慈郡・多賀郡28万石を領したが、最大の穀倉地帯は那珂郡であった。だが、郡内は河岸段丘が発達していた為水の便が悪く、度々水不足に悩まされた。 頼房は新田開発の促進には用水路整備が欠かせないとして、家臣の永田茂右衛門に用水路開発を命じた。茂右衛門は那珂郡下江戸(現那珂市下江戸)付近で堰を建設して那珂