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竹田出雲 - Wikipedia
初代竹田出雲肖像。『国文学名家肖像集』より。 生年不詳 - 延享4年6月4日(1747年7月11日) 通称を「元... 初代竹田出雲肖像。『国文学名家肖像集』より。 生年不詳 - 延享4年6月4日(1747年7月11日) 通称を「元祖出雲」と呼ばれる。俳号を千前軒奚疑と号した。 父は初代竹田近江、兄は二代目近江。宝永2年(1705年)に引退していた竹本義太夫を舞台復帰させ、義太夫から竹本座の座本を譲り受け座本に就任、顔見世興行では座付作者の近松門左衛門と組んで『用明天王職人鑑』を上演し、正徳5年(1715年)には「国性爺合戦」を17ヶ月間連続で上演する大成功を収める。後に自身も近松に師事して浄瑠璃の執筆を手がけるようになる。初の執筆は享保8年(1723年)初演の合作『大塔宮曦鎧』。翌年の享保9年には『諸葛孔明鼎軍談』をひとりで書き上演される。 当時の評判記には「名人 極上上吉 竹田出雲、ぷつぷつと智恵の吹出雲」の評価を受ける。寛保元年(1741年)には息子の三代目近江の付き添いで江戸に下り、二代目市川團十郎
2014/02/09 リンク