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藤野古白 - Wikipedia
藤野古白(ふじの こはく、1871年9月22日(明治4年8月8日) - 1895年(明治28年)4月12日)は日本の俳人... 藤野古白(ふじの こはく、1871年9月22日(明治4年8月8日) - 1895年(明治28年)4月12日)は日本の俳人・劇作家・小説家。本名・藤野潔。従兄弟に正岡子規と服部嘉香がいる。自殺した。没後、正岡子規が『古白遺稿』(1897年)を刊行した。 愛媛県上浮穴郡久万町に生まれた。母親の十重は子規の母、八重の妹で、古白は子規の4歳、年下である。7歳で母を失い、9歳で家族ととも東京に移った。1883年子規が上京し、一年ほど子規は、古白の父、藤野漸の家に下宿した。生まれつき神経症の症状があり、1889年、巣鴨病院に入院、退院後松山で静養した。このころ高浜虚子や河東碧梧桐とも親しくなった。1891年東京専門学校(現早稲田大学)に入学し文学を学んだ。初期には俳句に才能をみせ、子規をして「二十四年の秋、俳句句合数十句を作る。趣向も句法も新しく且つ趣味の深きこと当時に在りては破天荒ともいふべく余等儕