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西尾寿造 - Wikipedia
現在の鳥取市吉方温泉3丁目に生まれた[2]。鳥取県士族・西尾重威の四男[3]、兄幸太郎の養子[3]。 旧制鳥... 現在の鳥取市吉方温泉3丁目に生まれた[2]。鳥取県士族・西尾重威の四男[3]、兄幸太郎の養子[3]。 旧制鳥取県第一中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)を卒業。明治33年(1900年)、歩兵第40連隊に入る(士官候補生)。1902年(明治35年)11月、陸軍士官学校を卒業(14期、23番/702名)。同期生には、古荘幹郎(のち大将、2番)、小川恒三郎(殉職後に中将、5番)、橋本虎之助(のち中将、16番)、香月清司(のち中将、19番)など俊英が揃っていた。翌年6月、歩兵少尉に任官。 1904年(明治37年)から1906年(同39年)まで、日露戦争に出征し、沙河会戦で戦傷を受けた。 1907年(明治40年)、陸軍大学校入学、1909年(同42年)、歩兵大尉となる。1910年(明治43年)11月、陸大を卒業(22期恩賜、次席)した。 1912年(大正元年)から1914年(同3年)までドイツに留学