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パウロ書簡における"πίστις Ἰησοῦ Χριστοῦ"(ピスティス イエスー クリストゥー)の諸解釈ーー主語的属格にとるか、目的語的属格にとるかを巡って【パウロの信仰義認論の解釈】 - 巡礼者の小道(Pursuing Veritas)
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パウロ書簡における"πίστις Ἰησοῦ Χριστοῦ"(ピスティス イエスー クリストゥー)の諸解釈ーー主語的属格にとるか、目的語的属格にとるかを巡って【パウロの信仰義認論の解釈】 - 巡礼者の小道(Pursuing Veritas)
目次 はじめに あぁ困った!一体どちらが ‟伝統的” 解釈でどちらが ‟新” 解釈なのか分からなくなった。 ... 目次 はじめに あぁ困った!一体どちらが ‟伝統的” 解釈でどちらが ‟新” 解釈なのか分からなくなった。 はじめに 今年1月に私は、トリニティー神学校新約学D・A・カーソン氏の「“Faith” と “Faithfulness”」という翻訳記事を掲載しました。カーソン氏は"πίστις Ἰησοῦ Χριστοῦ"(ピスティス イエスー クリストゥー)を伝統的プロテスタント改革派の立場から、目的語的属格にとっておられます。 しかしその後、このギリシャ語聖句を目的語的属格(faith in Christ)にとるか、主語的属格(faithfulness of Christ)にとるかの解釈で自分自身、かなり迷いが生じてくるようになり、そのため一旦、この翻訳記事を下書き状態に戻したことを4月にみなさんにお伝えしました。 あぁ困った!一体どちらが ‟伝統的” 解釈でどちらが ‟新” 解釈なのか分から