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数学者・志村五郎はなぜ東大を去ったか? 丸山眞男~戦後進歩的知識人との決別の理由 | JBpress (ジェイビープレス)
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数学者・志村五郎はなぜ東大を去ったか? 丸山眞男~戦後進歩的知識人との決別の理由 | JBpress (ジェイビープレス)
前回、志村五郎さんに寄せて記した原稿は、思いがけず多くの読者に読んでいただけたようで、個人的に激... 前回、志村五郎さんに寄せて記した原稿は、思いがけず多くの読者に読んでいただけたようで、個人的に激励のメールなどもいただいたりした。深くお礼を申し上げたい。 そこで前稿では触れなかった内容にも踏み込んで、続編を記したい。 今回は最初に、読書案内から始めよう。志村さんの自伝的なエッセー集「記憶の切絵図」(筑摩書房)と、その続編「鳥のように」(筑摩書房)の2冊である。 読む人によって、この2冊から受ける印象は様々であろう。 私にはこの2冊から、志村さんがどうしても伝えたいと思った第2次世界大戦後の「進歩的知識人」の嘘や、彼らが持っていたソビエト連邦や北朝鮮などへの「無謬神話」の愚かしさ、また60年安保を契機として、志村さんが東京大学に見切りをつけて職を辞し、1年だけ大阪大学に勤務したのち米国に去ってしまった理由が、手に取る様に解るように思われた。 もちろんそれは、私自身の偏見による読後感に過ぎな