エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
日本史に残る真の「天才」、足利義教の容赦なき戦い 日本の未来を見据えていた12人(第11回)「足利義教」 | JBpress (ジェイビープレス)
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
日本史に残る真の「天才」、足利義教の容赦なき戦い 日本の未来を見据えていた12人(第11回)「足利義教」 | JBpress (ジェイビープレス)
◎日本の未来を見据えていた12人(第11回)「足利義教」 (倉山 満:憲政史研究者) 誰もが、現状を受け... ◎日本の未来を見据えていた12人(第11回)「足利義教」 (倉山 満:憲政史研究者) 誰もが、現状を受け容れるしかないと、諦めている時代。己の力で、天下を正した人物がいた。 あらゆる強敵と戦い全戦全勝、瞬く間に世の中を平らげた。そして非業の最期を遂げた。 怜悧で意志の強かったこの人物は、戦いを決意した時、畳の上で死ねないと覚悟しただろう。しかし、未来の為に戦い続けた。 足利義教(あしかが・よしのり)である。 室町幕府第6代将軍。くじ引きで将軍に選ばれ、生前から「万人恐怖」「薄氷を踏む」と恐れられ、「悪御所」と陰口を叩かれた。そして暗殺された後は「公方犬死」と酷評された。 義教の死から26年後、室町将軍の権威は応仁の乱により失墜。義教の暗殺が幕府の崩壊の遠因であると評価されてきた。義教の死が1441年、室町幕府の崩壊は1573年とされる。 だが、一つの事実にも、様々な尺度があるはずだ。確かに