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頼朝と義経を決裂させた、義経の政治的感覚のにぶさともうひとつの理由 鎌倉殿の時代(20)頼朝と義経はなぜ決裂したか? | JBpress (ジェイビープレス)
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頼朝と義経を決裂させた、義経の政治的感覚のにぶさともうひとつの理由 鎌倉殿の時代(20)頼朝と義経はなぜ決裂したか? | JBpress (ジェイビープレス)
別々の環境で育ち、顔を合わせたこともなかった二人は、われわれがイメージするような「兄弟の情・絆」... 別々の環境で育ち、顔を合わせたこともなかった二人は、われわれがイメージするような「兄弟の情・絆」は、持ち合わせていなかったでしょう。また、頼朝は地方武士たちの社会で、もまれながら政治家として成長しましたが、身寄りのない環境で育った義経は、どうも自己承認欲求が強かったようです。 そんな義経は、軍事の天才ではありましたが、政治的には無頓着でした。とくに、ドラマでも描かれていた無断任官問題は、鎌倉政権の根幹に関わる重大案件であったにも関わらず、勝利に浮かれていた義経は問題に気がつきませんでした。 鎌倉殿の権力基盤は、御家人たちとの主従関係です。御家人となった武士たちは、鎌倉殿に忠節を近い、鎌倉殿の命令によって敵と戦います。そして、敵を討ち滅ぼしたなら、敵から奪った所領や財産を、恩賞として鎌倉殿から与えられます。これが、主従関係の基本です。義経が朝廷からもらった「検非違使(けびいし)」のような官位