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後鳥羽上皇が見誤った「尼将軍」北条政子のカリスマ性はどうして生まれたのか 鎌倉殿の時代(48)後鳥羽上皇の誤算 | JBpress (ジェイビープレス)
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後鳥羽上皇が見誤った「尼将軍」北条政子のカリスマ性はどうして生まれたのか 鎌倉殿の時代(48)後鳥羽上皇の誤算 | JBpress (ジェイビープレス)
(城郭・戦国史研究家:西股 総生) 政子が「尼将軍」と名乗った史実はない 一般に、北条政子は「尼将軍... (城郭・戦国史研究家:西股 総生) 政子が「尼将軍」と名乗った史実はない 一般に、北条政子は「尼将軍」として知られています。『鎌倉殿の13人』の中でも、小池栄子さん演ずる政子が、少々ドヤ顔気味に「尼将軍」を名乗っていましたね。ただし、史実では政子がそう名乗っていたわけでありません。 そもそも、征夷大将軍は朝廷が任ずる武官ですから、尼の政子が任官するはずはないのです。政子が幕府内に君臨する姿を、人々が「まるで尼将軍だね」と評したにすぎません。ではなぜ、政子は「尼将軍」と呼ばれるほどの存在感をもったのでしょう?