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映画『ドライブ・マイ・カー』論考――すべては「主人公の夢」だったのか?
まえがき――もうひとつの「位相」 『ドライブ・マイ・カー』観賞時、じわじわと、そして終盤から一気にリ... まえがき――もうひとつの「位相」 『ドライブ・マイ・カー』観賞時、じわじわと、そして終盤から一気にリアリティラインが瓦解したような、奇妙な感覚が自分を襲った。このスリリングな印象は、前作『寝ても覚めても』と地続きのようでもあり、また少し違ったものでもあった。初見後はその違和感が何処からくるものなのか、そして本作が着地した結末は「見た目どおり」のものだったのか、うまく掴めずに戸惑っていたように思う。 しかし4度めの観賞後、ようやく筆者の内に「別の位相」がぼんやり浮かび上がってきた。それは端的に言えば、こういうことだ。『ドライブ・マイ・カー』は、主人公・家福悠介(西島秀俊)の「記憶と夢」を現出させた作品である。そして――さらに言おう。その記憶と夢の中で、家福は伶猾な犯罪者であったのかもしれない、と。 カンヌ国際映画祭を始め、枚挙に暇がないほどの受賞数に加え、アカデミー賞4部門ノミネートまで成し
2022/03/30 リンク