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ソ連の人々は何を食べていたか?
ソ連時代、各地域で、いつでも商店で買えたものは何だったのか、また行列についたりあるいはモスクワに... ソ連時代、各地域で、いつでも商店で買えたものは何だったのか、また行列についたりあるいはモスクワに行かなければ買えなかったものは何だったのか? ソ連後期といって多くの人々が思い浮かべるのは、「売り出された」ものにできる、終わりの見えない行列、そして魚の缶詰しか置かれていない空っぽの商品棚だろう。しかし中には、パン屋に並ぶほかほかのパンや数日しか保存できない牛乳、小学生でも買えた本物のバターから作られるソ連のクリームパン、そして大々的な家族の食卓を今でも郷愁とともに思い出す人も多い。ソ連時代を経験したロシア人に、それぞれの都市における当時の食糧事情について尋ねてみた。 何もないところから多様なものを作り出す 「たいていの場合、朝食はセモリナ粉の粥、家で食べる昼食はインスタントスープ、そして夕食もだいたい同じでした。ソーセージやチーズは品不足で、お肉は1週間に1回か2回食べていました」と話すのは