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ソ連中尉の日本亡命でMiGに恩恵
ソ連のパイロット、ヴィクトル・ベレンコ中尉が戦闘機「MiG-25」で日本まで飛行し、亡命した時、アメリ... ソ連のパイロット、ヴィクトル・ベレンコ中尉が戦闘機「MiG-25」で日本まで飛行し、亡命した時、アメリカに戦闘機の秘密がばれてしまった。だがこの亡命はその後のMiGの国際市場での成功へとつながった。MiG-25は最初の飛行から45年経過した今もなお、欧米諸国の歴代戦闘機を超える、世界最速の戦闘機となり続けている。 ヴィクトル・ベレンコと息子=AP撮影 ベレンコ中尉は40年前、機密戦闘機MiG-25で日本まで飛行、亡命し、アメリカに当時の最新機の中身を知られることとなった。 1976年9月6日、沿海地方のソ連防空軍第11独立軍に所属する複数のMiG-25が、日常訓練を実施した。ベレンコ中尉はこの編隊のパイロットの一人であった。訓練空域へ飛行した時、ベレンコ中尉はグループから離れ、ソ連のレーダーに引っかからないよう低空飛行した。日本の領空に入ると、アメリカ製F-4ファントム戦闘機2機に追尾さ
2017/09/04 リンク