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なぜカプースチンは、東西冷戦のソ連でジャズよりもジャズらしい曲を作れたのか? | Web音遊人(みゅーじん)
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ニコライ・カプースチンは、1961年にモスクワ音楽院を卒業してから11年間、ジャズ・オーケストラのメン... ニコライ・カプースチンは、1961年にモスクワ音楽院を卒業してから11年間、ジャズ・オーケストラのメンバーとして活動していたという経歴の持ち主だ。 つまり、彼のプロとしてのスタートは“ジャズ・ミュージシャン”だったということだ。 例えば1964年に発表している「Toccata」(Op. 8)は、ジャズのビッグ・バンドのために彼が作曲したもので、彼自身がビッグ・バンドの一員として演奏しているようすをYouTubeで観ることができるのだけれど、ピアノがジャズをはるかに凌駕するテクニックでプレイされていることを除けば、アメリカのジャズ・シーンに照らしてまったく遜色のない“出来映え”であることに誰もが驚くだろう。 ビッグ・バンドといえば、1986年発表、すなわちカプースチンが作曲活動に専念するようになってからの曲「Big Band Sounds」(Op. 46)もそうだ。 もともと彼が前記のように