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第4話 東大医学部の起源 医学校兼病院時代〜医師養成制度の始まり〜 – ページ 2 – 東大・京大・医学部研究室 by Y-SAPIX
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第4話 東大医学部の起源 医学校兼病院時代〜医師養成制度の始まり〜 – ページ 2 – 東大・京大・医学部研究室 by Y-SAPIX
石黒忠悳(ただのり)は越後の医家の出身で、慶応元年に江戸の「医学所」に入学した。戊辰戦争が起こる... 石黒忠悳(ただのり)は越後の医家の出身で、慶応元年に江戸の「医学所」に入学した。戊辰戦争が起こると医学所は解散になり、石黒は故郷に引き上げた。明治2年、自著の出版のために再び上京した際の医学所の様子をこう回想している。 さて、東京に来て見ると、以前私共のおった医学所の近所の藤堂邸が大病院と称する官軍の病院になり、医学所はこの病院の付属物の形になっています。そして長官には薩州の石神良策氏がおり、実地医療のことについては、英人ドクトル・ウリース氏が主となっており、学校の方には旧同窓の足立寛、田代基徳氏等も見え、先輩の島村鼎、坪井為春、桐原真節の諸先生もおります。また病院の方には池田謙斎、奥山虎炳、安井玄達(清儀)、佐々木東洋の諸親友がおりました。(『懐旧九十年』) 要するに、教師も生徒も石黒の顔見知りだったわけだ。幕府管轄から明治新政府管轄になったが人員はほとんどそのままであり、変わったのは事