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『名古屋の精神医学史 戦後編2』 その9 | 近代日本精神医療史研究会
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『名古屋の精神医学史 戦後編2』 その9 | 近代日本精神医療史研究会
名古屋少年鑑別所 昭和24年(1949)1月1日、新少年法が実施されることになり、名古屋少年観護所及び名古... 名古屋少年鑑別所 昭和24年(1949)1月1日、新少年法が実施されることになり、名古屋少年観護所及び名古屋少年鑑別所が開庁した。 昭和25年(1950)4月、「名古屋少年保護鑑別所」と改称。 昭和27年(1952)7月、「名古屋少年鑑別所」と改称。 医師梶村洋一が、昭和36年(1961)3月16日より、昭和43年(1968)11月まで、第五代所長を勤めた。 医師杉田稔は、昭和25年(1950)1月20日から、昭和39年(1964)2月29日までの14年間、医務課長を勤めた。杉田稔は、杉田直樹教授の次男である。 医師遠藤統久が、昭和48年(1973)3月まで勤務したが、今は、庁舎は立派になったが、精神科医は勤務していない。 (つづく)