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置き去りにされた兵士たち ─楠田大隊─
「他の部隊の兵から「お前達は兵隊じゃない。」「オヤジが逃げたじゃないか。」と随分言われた。戦後、... 「他の部隊の兵から「お前達は兵隊じゃない。」「オヤジが逃げたじゃないか。」と随分言われた。戦後、戦友会で、「富永を呼んできて、皆で殺そうじゃないか」という者もいた」(安田誠兵長) 「マニラ以来の四航軍の名誉の回復は一にかかって第一中隊の奮斗に待つ」(楠田滿少佐) 令和2年1月16日 註に※9を追加 令和2年5月15日 註に※10を追加 飛べなかった兵士たち 昭和20年1月16日、第四航空軍司令官冨永恭次中将は台湾へと飛んだ。それに続いて司令部にいた参謀長以下も続々と台湾へと飛んだ。 しかし、司令部員の大部分はルソン島に置き去りにされた。残された兵士たちは徐々に集団となってサンチャゴ周辺に集り、楠田少佐の指揮下に入り「第四航空軍ルソン派遣隊(班)」を編成した。 この部隊は20年1月下旬頃からは「第四航空軍ルソン派遣隊(班)」、3月21日から「臨時第五輸送隊」、5月20日に「臨時歩兵大隊(楠田