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あの頃の自分は、なぜ「教科書の純文学」を遊び道具にしていたのか - れんとのオタ活アーカイブ
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あの頃の自分は、なぜ「教科書の純文学」を遊び道具にしていたのか - れんとのオタ活アーカイブ
先日、友人・Y氏の書いた短編小説を査読させて貰う機会に恵まれた。 Y氏の小説はこれまでも何度か読ませ... 先日、友人・Y氏の書いた短編小説を査読させて貰う機会に恵まれた。 Y氏の小説はこれまでも何度か読ませて頂いているのだけれど、ホラーを軸に多彩なジャンルを組み合わせ、自分の味として昇華させてみせる氏の名料理人ぶりには毎度驚かされてばかり。とりわけ、自分が号泣しながら読破し「水星の魔女に負けないくらい『slash』が似合う」と熱弁した小説に至ってはなんと賞を取ってしまい、筆者まで諸手を挙げて大喜び。自分にとっても2023年を象徴する一大イベントとなっていた。 slash yamaJ-Pop¥255provided courtesy of iTunes して、今回の査読である。 「純文学はボーボボ」という謎めいたコメントと共に渡された小説は、これまでとは異なり「純文学」なのだという。純文学、と聞いて「教科書に載ってるようなアレか……?」という浅ッさい感想を抱いてしまう自分に果たして咀嚼できるのだ