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水俣病:被害者を支援 「市民会議」患者と共に半世紀 | 毎日新聞
水俣病第1次訴訟原告らとの集まりで、「水俣病市民会議」の歩みを振り返る鶴田さん=熊本県水俣市で2... 水俣病第1次訴訟原告らとの集まりで、「水俣病市民会議」の歩みを振り返る鶴田さん=熊本県水俣市で2018年3月21日、笠井光俊撮影 公式確認から5月1日で62年 鶴田さん 訴訟、生活支え 5月1日で公式確認から62年となる水俣病の被害者を支援してきた熊本県水俣市の市民団体「水俣病市民会議」が今年で設立50周年を迎えた。会議は、患者らが原因企業のチッソ(現JNC)に損害賠償を求め勝訴した第1次訴訟(1969~73年)を支え、補償制度に道筋をつけたことなどで知られる。設立当初から参加する水俣市袋のミカン農家、鶴田徹夫さん(81)は「患者を見る市民の目の冷たさに疑問を感じた」と当時を振り返る。 水俣病は56年5月1日に公式確認されたが、国がチッソの工場排水が原因の有機水銀中毒と認めて公害認定したのは68年。患者らは「奇病」などと、いわれのない差別を受けて地域で孤立していた。
2018/04/30 リンク