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終戦の日:元軍属、73年後の慰霊 自決「裏切り」自責 玉音放送の日、少尉待つ神社裏へ行けず | 毎日新聞
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終戦の日:元軍属、73年後の慰霊 自決「裏切り」自責 玉音放送の日、少尉待つ神社裏へ行けず | 毎日新聞
日本の敗戦を告げる昭和天皇の玉音放送が流れた73年前、自ら命を絶つ軍人が相次いだ。大阪で陸軍機の... 日本の敗戦を告げる昭和天皇の玉音放送が流れた73年前、自ら命を絶つ軍人が相次いだ。大阪で陸軍機の整備をする軍属だった吉川晋吾さん(90)=東大阪市=は、懇意だった陸軍少尉から集団自決に加わるよう誘われたが、自身は思いとどまった。「申し訳ない」という思いを消せなかった吉川さんは14日、軍施設跡や自決現場となった神社を戦後初めて訪れて手を合わせ、平成最後の夏に心の重荷をようやく少し軽くした。 吉川さんは岐阜県の陸軍施設で飛行機の整備技術を学び、1945年4月に現在の大阪府八尾市にあった陸軍大正飛行場(現八尾空港)に併設された大阪陸軍航空廠(しょう)に配属された。既に日本は制空権を失い、米軍の空襲は激化していた。飛行機を守る「掩体壕(えんたいごう)」と呼ばれる格納庫で、来る日も来る日も作業を続けた。特攻に向かう航空機も整備した。「離陸さえできればいい」「燃料は片道だけ」。冷徹な命令に渋…