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旅ゆけば漁師町:徐福伝説に導かれ | 毎日新聞
最初に徐福という人物を意識したのは、江戸時代に古式捕鯨で栄えた和歌山県新宮市の三輪崎という漁師町... 最初に徐福という人物を意識したのは、江戸時代に古式捕鯨で栄えた和歌山県新宮市の三輪崎という漁師町を訪ねた時のことだった。新宮駅で観光案内を見ると、駅の近くに徐福公園という大きな公園があり、中国風の楼門がシンボリックに建っている。徐福の墓もあるようだ。 案内所でもらったパンフレットによれば、徐福は2200年ほど前、秦の始皇帝の命により不老不死の霊薬を求めて童男童女3000人を引き連れて船出し、熊野の地にたどり着いたという。そして熊野に永住し、農耕や捕鯨、紙すきなどの技術を伝えたとある。 その時は、不老不死の薬を求めて大勢で壮大な旅だなと思っただけで、しばらく忘れていたのだが、昨年、京都府伊根町で「徐福渡来の地」という看板を発見した。新井崎(にいざき)という小さな漁師町がその地だ。