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常夏通信:その68 戦没者遺骨の戦後史(14) 〝地獄〟硫黄島からの生還者「戦場に聖人君子はいない」 | 毎日新聞
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常夏通信:その68 戦没者遺骨の戦後史(14) 〝地獄〟硫黄島からの生還者「戦場に聖人君子はいない」 | 毎日新聞
その元海軍中尉は、私の目をまっすぐに見ながら言った。「むごい、と思いますか? では1週間、いや3日... その元海軍中尉は、私の目をまっすぐに見ながら言った。「むごい、と思いますか? では1週間、いや3日でもいい。飲まず食わずの生活をしてみてください。少しは当時の状況が想像できるかもしれません」。第二次世界大戦末期、硫黄島(東京都小笠原村)の日本軍守備隊は米軍と激戦、2万人が戦死した。生還した大曲覚さん(故人)が、私のインタビューに戦場の地獄を振り返ってくれた。「戦場に聖人君子はいません」 ペリリューにサイパン、フィリピン、沖縄と旧満州(現中国東北部)。一年中「8月ジャーナリズム」=戦争報道をしている常夏記者こと私は、第二次世界大戦の激戦地から生還した人たちから話を聞いてきた。行軍の途中で歩けなくなった戦友を助けることができなかった。自分のことで精いっぱいだった。逃げ惑う途中、母親が爆撃で倒れた。「あなたたちは逃げなさい」とうながされ、母を置いて現場を離れざるを得なかった。「戦友が死にそうにな