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私的小説論 - Sound and Fury.::メルの本棚。
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私的小説論 - Sound and Fury.::メルの本棚。
以下、極論だということを分かった上で、メモ風に論じてみると、西尾維新の小説にはまず無駄がない。そ... 以下、極論だということを分かった上で、メモ風に論じてみると、西尾維新の小説にはまず無駄がない。それはどういうことかと言うと、ある場面に主人公が来る、するとそこに誰かがいる。そして何らかの出来事が起きる。で、次の場面に移動する。誰かがいて、会話をする。そして何か出来事が起きる。と言うふうに物語が進行して、大きな事件が生じる。そこまできっちりと合理的にというか、決められたシナリオ通りに進んでいく。そして、語りに無駄がない。登場人物たちは、必要なことだけ話しているという印象を受ける。 舞城の小説もある点では、こうした西尾の物語展開と似ているのかもしれない。しかし、印象としては舞城の小説には、無駄な言葉が比較的多いような気がするのだ。 ここで述べている無駄というのは、「物語」の語りにとって無駄な言葉ということ。私自身の偏った文学観を言えば、純文学は無駄なものだ、という考えを持っている。まず、そもそ