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モンゴル帝国の「至宝」 大都 : モンゴル情報クローズアップ!
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モンゴル帝国の「至宝」 大都 : モンゴル情報クローズアップ!
皆様こんにちは、ひでです。 先週まで、フビライ・ハーンが「元朝」を建国した経緯までをお伝えしました... 皆様こんにちは、ひでです。 先週まで、フビライ・ハーンが「元朝」を建国した経緯までをお伝えしましたが、今回は一応「大都」最終回という事で、モンゴル帝国が建設した壮大なる都「大都」の街づくりについて書きたいと思います。 大都の呼び方としては、音訳で「ダイドゥ」や、モンゴル語やチュルク語で「ハーンの都」を意味する「ハンバリク」(Khān Bālīq / Qan-baliq)などとも呼ばれています。(東方見聞録で有名なマルコ・ポーロは大都の事を「ハンバリク」から訛った「カンバルク」( Cambaluc )」という呼び名で呼んでいる) 1271年に国号が大元(元)に改められ、元々「燕京」と呼ばれていた中国北方の街も「大都」と改称されました。 これによりフビライの国家、大元ウルス(ウルスとはモンゴル語で’国家’の事)では、大都は冬の宿営地と定め、夏の宿営地の上都(現在の内モンゴル自治区シリンゴル盟正