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はじまりの文字のために―文字の記号学 - 現在思想のために
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はじまりの文字のために―文字の記号学 - 現在思想のために
文字の記号学のために、かつて発表した文章の骨子を補いつつここに掲げておきたい。原文は、菅野盾樹『... 文字の記号学のために、かつて発表した文章の骨子を補いつつここに掲げておきたい。原文は、菅野盾樹『恣意性の神話』、勁草書房 に収められている。 1 現代社会では多くの人々が少なくとも二つの言語の形態を用いている。自国語――例えば日本語――だけしか解さない人でも、この意味では歴としたバイリンガルなのだ。すなわち大抵の人が、話し言葉つまりスピーキング(speaking)と書き言葉つまりライティング(writing)という「互いに独立した」言語を遣っている。ちなみに、これらの横文字から分かるように、言語とは基本的に身体の所作である。 2 それにもかかわらず、ライティング=文字を書く行為は、言語ではないという説が唱えられてきた。古典的な事例はソシュールである。彼によると、文字(écriture)は話し言葉を記録にとどめる手段にすぎない。現代でこうした立場を打ち出したのは、行動主義言語学を代表するレナ