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旭日に顔を上げよ - 73話 昭和時代幕開け
皇太子裕仁親王が践祚(せんそ)して昭和に改元となる。 時の首相は若槻禮次郞(わかつきれいじろう)だ... 皇太子裕仁親王が践祚(せんそ)して昭和に改元となる。 時の首相は若槻禮次郞(わかつきれいじろう)だった。 彼は松江藩の下級武士の子で、借金しなければ上京できないほど極貧に苦しみ、東京大学を首席で卒業し、大蔵省に入った。主計局長、次官を歴任した後、12年大蔵大臣になった。その後、16年に加藤高明と共に憲政会を結成し副総裁になる。加藤が護憲3派内閣で24年に首相になると、彼も内務大臣として入閣するのだが、その加藤が26年1月に死去してしまう。前にも書いたが、この時の内閣は3派護憲連合が瓦解して、憲政会だけで支える少数与党になっていた。 元老の西園寺の判断で、首相に任命されたのだが、その国会運営には不安を抱えていての船出だった。 本来なら、選挙をして国政を預かるものが誰なのか問わなければいけないものだった。 それを西園寺は「首相の病死と言う、政治問題ではない理由で政権交代は望ましくない」と言う理