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さらば江戸幕府…上野公園にいまも残る戦争の跡/5月9日の話(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース
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さらば江戸幕府…上野公園にいまも残る戦争の跡/5月9日の話(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース
1876年(明治9年)5月9日、日本初の公園として「上野公園」が開園した。 江戸時代から、寛永寺の敷地と... 1876年(明治9年)5月9日、日本初の公園として「上野公園」が開園した。 江戸時代から、寛永寺の敷地として広大な自然を残していた上野の山。花見の名所として、昔から庶民に親しまれてきた。 しかし、上野公園には今なお、戊辰戦争の爪痕が残されている。歴史学者の濱田浩一郎さんが語る。 「二代将軍・徳川秀忠から上野の地を与えられた僧・天海は、比叡山延暦寺を江戸に再現しようと考えました。寛永寺に東の叡山(東叡山)との山号が付けられたのはそのことを象徴しています。 寛永寺にある伽藍の一つである清水観音堂も、京都の清水寺を模した造りとなっています。 上野公園には寛永寺が存在していますが、1868年5月15日に起きた、戊辰戦争の戦いの一つである『上野戦争』により、焼け野原となったのです」 江戸時代末期、将軍の座を失った徳川慶喜が、鳥羽伏見の戦いの最中、大坂城から江戸城へ逃げ帰った話は有名だ。その後、慶喜は