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ジャンボ鶴田の命日に考える、「プロレスに就職します」発言がプロレス界にもたらしたもの | 日刊SPA!
31年前(1984年)、ミネソタ州ミネアポリスでのジャンボ鶴田(左)。当時、AWA世界王者としてアメリカを... 31年前(1984年)、ミネソタ州ミネアポリスでのジャンボ鶴田(左)。当時、AWA世界王者としてアメリカを長期サーキットをしていた。ちなみに右は若き日の著者で、皿洗いのアルバイトをしていた日本料理店に毎日のようにジャンボ鶴田が食事に来ていたという 5月13日はジャンボ鶴田さんの16回めの命日である。いまどきの若者には“ジャンボ鶴田”といってもあまりピンとこないかもしれない。鶴田さんの日本人ばなれしたパワーと身体能力をリアルタイムで記憶しているのは40代以上のプロレスファンだろう。 鶴田さんは1951年(昭和26年)、山梨県出身。本名:鶴田友美(つるた・ともみ)。中央大学卒。1972年(昭和47年)、ミュンヘン・オリンピック(レスリング=グレコローマン100キロ超級)に出場後、同年10月、全日本プロレスに入団。身長196センチ、体重127キロというスーパーヘビー級の体格は、日本人選手では師匠
2015/05/13 リンク