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「オレが死んだらあいつが一生不幸になる」1984年2月12日にマッキンリーで消息を断った昭和の冒険家・植村直己が夫人に残していた言葉|朝日新聞出版さんぽ
「オレが死んだらあいつが一生不幸になる」1984年2月12日にマッキンリーで消息を断った昭和の冒険家・植... 「オレが死んだらあいつが一生不幸になる」1984年2月12日にマッキンリーで消息を断った昭和の冒険家・植村直己が夫人に残していた言葉 世界的冒険家・植村直己が日本人として初めて、世界最高峰エベレストへの登頂を成功させたのは、1970年5月のこと。五大陸最高峰全登頂、犬ゾリでの北極圏単独走破と偉業を次々と成し遂げてきた冒険家の最期は、マッキンリーの雪山だった。植村の冒険への情熱、支え続けた夫人への思いを『あの時代へ ホップ、ステップ、ジャンプ! 戦後昭和クロニクル』(朝日新聞出版)から抜粋して紹介する。 『あの時代へ ホップ、ステップ、ジャンプ! 戦後昭和クロニクル』(朝日ビジュアルシリーズ)「自分はひとりじゃない。 絶対に生きて帰らなければ」 昭和59(1984)年2月1日、最後の冒険行となったマッキンリー(米・アラスカ州)厳冬期単独初登頂を目指してベースキャンプを出発する直前の植村直己の
2024/09/28 リンク