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追悼 宮沢章夫 『戯曲ではない。台本があった。手書きなのであった。』 松尾スズキ|文學界
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追悼 宮沢章夫 『戯曲ではない。台本があった。手書きなのであった。』 松尾スズキ|文學界
宮沢さんは、出会った頃、ノートに、とてもかわいい手書きの文字で、台本を書いていた。 「僕の字は、い... 宮沢さんは、出会った頃、ノートに、とてもかわいい手書きの文字で、台本を書いていた。 「僕の字は、いしいひさいちの字とまったく同じなんだ」 と、自嘲と自慢が微妙に入り混じった感じで、宮沢さんはおっしゃっていた。そう、四コマ漫画に添えられている字っぽいのである。 とっておけばよかった。ひしひしとそう思う。あの手書きの台本。 劇作家である宮沢さんの作品を「台本」と書くには訳がある。 宮沢さんといえば、わたしにとって「コントの人」だった。 初めて『ラジカル・ガジベリビンバ・システム』を見たのは、上京してすぐの頃だった。自分の大好きなシティボーイズや竹中直人さんら、先鋭的な笑いをやるパフォーマーの方々がつどって長めのコントをやる、という漠然とした情報のみでラフォーレ原宿まで観に行ったのだが、じんじょうでない衝撃をうけた。明らかにコントの形でスタートするのだが、短いコントが終わる寸前に、別のコントが始