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【エッセイ】山内マリコ「お前に軽井沢はまだ早い」|文學界
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【エッセイ】山内マリコ「お前に軽井沢はまだ早い」|文學界
東京の東側に引っ越してきて、今年で九年目になる。地方出身者の多くがそうであるように、それまではず... 東京の東側に引っ越してきて、今年で九年目になる。地方出身者の多くがそうであるように、それまではずっと西側に住んでいた。サブカルチャーと親和性の高い中央線に憧れ、二十代は吉祥寺と荻窪を渡り歩いた。 ところが三十歳を過ぎてから東側に惹かれるようになり、お試しのつもりで引っ越してみると、妙に居心地がいい。人口が少なく摩擦熱が低い。道のうねりや坂の勾配に、江戸や明治の匂いを感じる。越してすぐ、八百屋のにいちゃんと顔見知りになった。彼に「こんちわ」とがさつに挨拶するとき、わたしは自分を好きになる。 故郷といっても生まれ育った富山県富山市の市街地は、里山的な地域とはほど遠く、「地元」と呼ぶに相応しい。コミュニティが消滅し、そのわりに“近所の目”だけがあるような、せせこましいただの住宅街だ。住民は車さえあれば困らない暮らしなので、誰とすれ違うこともなく、近所づき合いは薄い。とにかくどこへ行くにも車車車。