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愛すべきインチキ!板橋競馬場について|板橋競馬倶楽部
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愛すべきインチキ!板橋競馬場について|板橋競馬倶楽部
板橋競馬場のことを知ったのは、いかさんのこのツイートでした。驚くべきことに、我らが愛する麗しのパ... 板橋競馬場のことを知ったのは、いかさんのこのツイートでした。驚くべきことに、我らが愛する麗しのパリこと板橋区に競馬場が存在したというのです! ウィキペディアによると、その競馬場があったのは東武東上線「大山」駅の近く。今からさかのぼること100年以上前の1908(明治41)年からたった2年間だけ存在したそうです。 そんな板橋競馬場ですが、知れば知るほどひどい競馬場だったということがわかってきました。以下、ウィキより転載。 板橋競馬場は競馬会側の資料がほとんど焼失しているため現代では詳細は分からないことが多いが、八百長の横行や運営会社の内紛、馬場・施設の劣悪さなど悪評が多く伝わっている競馬場である。 競馬場の経営会社の設立にも横領や不正が絡んでいる。(中略)当時の競馬雑誌『馬匹世界』では東京ジョッケー倶楽部の幹部たちを前科者だの猿に衣裳だのと罵倒している。 マスコミに「前科者」とか「猿」とか