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がらにもなく生きることとか死ぬことについて考えていた.|落合陽一
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がらにもなく生きることとか死ぬことについて考えていた.|落合陽一
実家で飼ってた犬が亡くなったらしい.落合陽一です.今日はエッセイみの強い話.iPhone曰く「四本足の... 実家で飼ってた犬が亡くなったらしい.落合陽一です.今日はエッセイみの強い話.iPhone曰く「四本足のお友達,長い年月で」.正直,計算機の生成メッセージはグッとくるものがある. 僕は映像と物質とか,質量のない自然と質量のある自然の間はよく考えるものの,生きる・死ぬ,を考えることはあまりない.もちろん人並みには考えるけれど,生と死の中間地点を実装しようとか評論書こうとか試しに死んでみようとかすることがないということだ.やんわりと死生観と共にずっとある.人はいつでも半分死んでるようなものだし,いつでも半分くらいしか生きていない.希望の底に絶望は無いし,裏返しても絶望の底に希望はない. いつからだったから,誰かが亡くなっても涙が出なくなった.そう言ったらすごく冷たい人間に見えるけど,そういうことではない. 2016年くらいから後は日々疲れているから,深い興味があること以外ではあまり感情が動かない