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アンビバレントさに留まることから――『乃木坂46のドラマトゥルギー 演じる身体/フィクション/静かな成熟』刊行|香月孝史
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アンビバレントさに留まることから――『乃木坂46のドラマトゥルギー 演じる身体/フィクション/静かな成熟』刊行|香月孝史
本書は、「演じる」をキーワードにしながら、アイドルというジャンルを生きる人々について、あるいはそ... 本書は、「演じる」をキーワードにしながら、アイドルというジャンルを生きる人々について、あるいはその職能の“理解されにくさ”について考えるものです。 ここでいう「演じる」とは、しばしば芸能人に対してあてがわれがちな、「偽りの姿/真の姿」というような単純さで捉えられるものではありません。2010年代の女性アイドルシーンにあっては、オンとオフとが互いに侵食し合うようなメディア環境を駆使してきたことも相まって、パフォーマーとしての〈表〉の領域と、「プライベート」としての〈裏〉の領域とを峻別しうるような捉え方は、的を射たものではなくなっています。 また、アイドルはいくつもの場所、いくつもの位相のアイコンを「演じ」続けることを職能としますが、そうした役割はひとつのスペシャリティとして世に理解されにくく、どこまでも非熟練的な存在として規定されがちです。アイドルが日々おこなっている「アイコンの上演」という