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中間愛|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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中間愛|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
どうやら中間的なものが好きらしい。 中間、プロセス、メディア、はざまなどに惹かれるし、変容だとか、... どうやら中間的なものが好きらしい。 中間、プロセス、メディア、はざまなどに惹かれるし、変容だとか、両義性、横断とかも中間的なものを感じさせて気になる。 はざまで共振するだから、アビ・ヴァールブルクの歴史上の複数のイメージ同士が共振する様を感じとるような思考やそれを視覚的に表してみせる行動にも惹かれるのだろう。 時間を不連続にする亀裂、言葉とイメージのあいだの隔たり、そしてイメージ内部の両極性といったものすべてがひとつの間隔である以上、ヴァールブルクのあらゆる思考はいわば間隔の問題なのだ、とディディ=ユベルマンは大胆に総括する。 こう書くのは『歴史の地震計』の田中純さん。ヴァールブルクの晩年の仕事である『ムネモシュネ・アトラス』を論じた1冊だ。 『ムネモシュネ・アトラス』でヴァールブルクは、971枚の図版を総数63枚の黒いパネルに配置している。まさに歴史上の複数のイメージ同士が互いの類似性と