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SNSの時代に世界にとって必要な「批評」とはどういうものか、改めて考えてみた話|宇野常寛
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SNSの時代に世界にとって必要な「批評」とはどういうものか、改めて考えてみた話|宇野常寛
今日は昨日に続いて「批評」について考えてみたい。いや、まあ「批評」という言葉を神聖化しても仕方な... 今日は昨日に続いて「批評」について考えてみたい。いや、まあ「批評」という言葉を神聖化しても仕方ないのだけれど、僕なりに長くこの仕事をしているので、考えることは多い。たとえば僕は書き手の傍らマイナーな媒体をもう10年以上運営してきているのだけれど、よく考えるのは「僕らみたいな媒体じゃないとできないこと」はなんだろうか、ということなのだ。 最悪なのは「その少し前に流行った本のタームを使って別のもの(自分の好きなもの)を論じる」ような企画(そうすることで「界隈」から認められたいという気持ちを隠せない文章)だ。 こうしている今も、noteでも批評好きの若者がたくさんそういう記事を書いていると思うのだけど、ある程度の年齢でそういうものを書きたくなっているとしたら、君はあまりものを書く仕事に向いていない。もっと言ってしまえば、その時点で才能がない。なので、やめたほうがいいと思う。君が求めているのは表面