エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
第6回 ニッケルオデオンとアメリカの移民社会|渡部宏樹(Kohki Watabe)
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
第6回 ニッケルオデオンとアメリカの移民社会|渡部宏樹(Kohki Watabe)
前回は、エドウィン・ポーターの1901年から1903年ごろの映画を例に、この時期のアメリカにおける映画の... 前回は、エドウィン・ポーターの1901年から1903年ごろの映画を例に、この時期のアメリカにおける映画の大きな変化についてお話ししました。アクロバットやヴォードヴィル俳優のパフォーマンスを撮った非物語的快楽を提供する「アトラクション」の映画の中に、それ自体で完結した線的な時空間を表現するタイプの映画が生まれ始めました。もちろん、まだ現代の物語のような長さではないのですが、フィルムのリールを丸々一本使った10分以上の作品も増えてきました。今回の話題は、この映像コンテンツの変化と並行して1905年ごろから1908年ごろにかけておきた映像を見せる環境の方の変化についてです。この時期に、ヴォードヴィルの演目の一部として映画を見せるのではなく、映画のみを売り物にした映画専門劇場の数がアメリカ全土で一気に増加しました。この映画専門館はニッケルオデオンと言われており、今回はこのニッケルオデオンの誕生とそ