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数学用語のできるまで 第4回 Unitをどうすべきか|山本貴光
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数学用語のできるまで 第4回 Unitをどうすべきか|山本貴光
日本語の数学用語は、どのようにつくられてきたのか。 明治期に、欧米からの文物の移入がそれまで以上に... 日本語の数学用語は、どのようにつくられてきたのか。 明治期に、欧米からの文物の移入がそれまで以上に増える。そうしたなかで、学術の各方面についての知識ももたらされた。その際、英語、ドイツ語、フランス語をはじめとする異言語の用語や概念を、日本語でどう受け止めるのかという翻訳の課題も改めて生じる。 (「生じる」といっても、江戸期にオランダを経由して摂取されていた蘭学や洋学でも、すでに検討されていた課題であった) はじめのうちは、人それぞれ、めいめいが必要に応じて自分で工夫をしていた。その結果、当然のことながら、同じ言葉でも人によって違う訳語を当てることにもなる。だが、それでは互いに話が通じなくて困る。というので、訳語を統一しようじゃないか、という機運も生じる。 数学については、明治期に設立された東京数学会社で、訳語統一の検討が始まった。この連載では、その様子を眺めてみようという次第。幸い、彼らは